←
ヨコに読みます
あとがき
越王室が禹の末裔だという記述は『史記』から出てきます。一方、句踐と同時代の孔子が書いたとされる『春秋』には越に関する記述はほんの数ヶ所しか出てきません。おそらく句踐の時代にははじっこの異民族扱いだったのが、その後評価が上がり、「句踐の偉業は中国文明圏の中での出来事である」という認識が形成されるにいたり、禹との関係もその過程で形成されていったのではないかと思います。ですので当時の越の人たちが自分たちが禹の子孫だという自認を持っていたかどうかはわかりません。